2021年11月16日火曜日

【コラム】「続ける」石黒秀和(2021.10)

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 1993年から9年間、豊田文化協会(現在の豊田市文化振興財団文化事業課)が主催していた豊田市民創作劇場というものに関わっていた。キャスト、スタッフ全て市民から公募、約半年をかけてオリジナル劇を上演、そんな企画に、僕は第2回目から脚本・演出として関わった。きっかけは、1992年に上演された第1回目の公演を妹と観に行き、その際、妹が公演アンケートに自分の兄が富良野塾出身であることを書いたことにある。ある日電話がかかってきて、次回作の脚本を書いてくれないかと依頼を受けた。当時は半年後に富良野塾の全国公演にスタッフとして参加することが決まっていて、その後は東京に出たいと思っていたので、今回限りで脚本だけならとお引き受けし、富良野塾時代に書き溜めた短編を連ねた「ファイト」というオムニバス作品を書き上げた。しかし書き上げるとやっぱりなんだか演出もしたくなり、結局最初の2カ月間だけ演出もした。その後の4カ月と本番は知らない。帰ってくると、公演は大成功で再演の話まであることを聞いた。そうしてその年の冬、「ファイト」はクリスマスバージョンとしてアンコール公演を行った。カーテンコールの中、僕は初めて、自分の作品に対するお客さんの拍手と、共に創り上げたキャスト、スタッフの笑顔と涙を見、みんなと、次はなにを創ろうかと考えていた。おそらく、あの時、僕の人生は決まったのである。あれから約25年、僕はこの地で、芝居を創り続けている。

 夢は当然、東京でシナリオライターになることだった。東京で、は、成功の絶対条件だった。地元で、舞台中心に、サラリーマンをしながら脚本だけじゃなく演出やプロデュース、まちづくりにまで関わるとは思ってもみなかった。果たして、これは夢破れたのか? 

 豊田市民創作劇場からは実は何人かの若者が役者を目指し富良野塾に入った。また、富良野塾には落ちたが夢を追い東京に旅立った者もいる。しかしその多くが今は役者を辞めている。それでも、東京で、約20年、バイトをしながら、いまも役者を続けている者がいる。僕は役者やライターになるための才能はなんですか? と聞かれたら、今は迷いなく「続けることです」と言う。これは実感である。僕の知る夢叶えた人は皆、とにかく続けた人だ。続けることはまさに才能なのだと思う。ただ、一方で、これはとっても残酷な言葉でもある。「もういいよ、他にも道はあるんだ、人生は一つじゃないんだ」。この言葉も、決して間違いではない。では、果たして、「続ける」とは、一体なにを続けることなのだろうか?

 東京で、売れっ子のシナリオライターになる。それを成し遂げた時、僕は夢を叶えたことになる。そんな気持ちは実は今もある。まだ可能だとどこかで思ってもいる。一方で、シナリオライターになりたいと思ったその理由、あの時の気持ち、それを叶える方法は、実は一つじゃなかったことを、今の僕は知っている。しかし、果たして、それは妥協なのか?

 答えは分からない。でも、これからも、続けていきたいと思っている。


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石黒秀和(いしぐろひでかず)プロフィール
1989年に倉本聰氏の私塾・富良野塾にシナリオライター志望として入塾。卒塾後、カナダアルバータ州バンフに滞在し、帰国後、富良野塾の舞台スタッフやフリーのシナリオライターとして活動。1993年より9年間、豊田市民創作劇場の作・演出を担当する。
2003年、2006年には国内最大級の野外劇「とよた市民野外劇」の作・演出を担当。その後、人材育成の必要性を実感し、舞台芸術人材育成事業「とよた演劇アカデミー」(現在はとよた演劇ファクトリー)を発案、実行委員として運営に携わり、2011年から2015年まで短編演劇バトルT-1を主催する。
2012年からはTOCを主宰して市民公募のキャストによる群読劇を豊田市美術館などで上演。2017年からは、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長として様々なアートプログラムの企画・運営に従事し、同年、とよた演劇協会を設立。会長に就任し、2020年、とよた劇場元気プロジェクトを実施する。
その他、演劇ワークショップの講師や人形劇団への脚本提供・演出、ラジオドラマ、自主短編映画製作など活動の幅は多様。これまでの作・演出作品は70本以上。1997年からは公益財団法人あすてのスタッフとして社会貢献事業の推進にも従事。豊田市文化芸術振興委員ほか就任中。平成8年度豊田文化奨励賞受賞。平成12年とよしん育英財団助成。平成27年愛銀文化助成。日本劇作家協会会員。

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