2022年3月4日金曜日

【コラム】「ありがとう」が言えない 石黒秀和(2022.2)

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 中学の時だったか、突然、「あ」の言葉が出なくなった。言葉の「あ」である。特に「あ」が言葉の頭に来るとき、それは顕著だった。それで困ったのが「ありがとう」の言葉である。クラスで、学級委員としてかける終業の号令「ありがとうございました」が言えなくなったのだ。それでも当時はそれを誰にも相談できず、秘かに悩んだ挙句、幾つかの方法を編み出した。例えば、「(あを2回続けて)あ、ありがとうございました」。例えば、「(あを伸ばして)あーりがとうございました」。しかし当然どれも違和感ありありで、クラスメイト達からも不審がられ、次第に追い込まれていった僕はついにこう考えた。ならば、いっそのこと「あ」を言うのをやめてみたらどうか? つまり「りがとうございました」。ある日思い切ってこれを試してみた。すると、これが案外うまくいった、ような気がした。そこでそれからは「りがとうございました」で通すことにした。それは高校卒業まで続いた。

 吃音。今思えばおそらくその一種だったのだろう。日常会話の中で言えなくなることはほとんどなく、高校卒業と同時にその症状に悩まされることもほとんどなくなったので、やはり終業の号令がプレッシャーになっていたのでは? 今はそんな風に思っている。そもそも僕は小学生の頃から、首を振ったりまばたきしたりのいわゆるチック症状が幾つかあり、それは今も治っていない。チックだと言われたのは実は大人になってからで、それまではずっとただのクセだと思っていたので、それが精神的なものだと言われた時は、正直、ピンとこない部分もあったのだが、なるほど、心と身体、言葉のつながりとその不可思議を子どもの頃から身をもって体現し続けていたのだと考えたら、今演劇にハマっている理由もちょっとだけ分かったような気がした。演劇とは、まさにこの心と身体、言葉について考えることなのだから。

 さて、なぜこんなことを急に書いたかと言うと、実は先日、妻に、「あなたはありがとうの言葉が言えないわね」と言われたからだ。吃音のことではない。自分への感謝やお礼の言葉が言えてないと言われたのだ。いやいや、そんなことないでしょ! むしろ必要以上に言ってるでしょ! と猛烈に反論したい気持ちもあったのだが、実際妻はそう感じているのだ。素直に「ごめんなさい」と謝った。考えてみれば、「ありがとう」も「あいしてる」もいつの間にか当たり前となって、最近妻には言えていない、気もしないではない。ただ、「ごめんなさい」は年々確実に言う機会も回数も増えている。……。

 「ありがとう」を再び意識する、そんな今日この頃なのである。


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石黒秀和(いしぐろひでかず)プロフィール
1989年に倉本聰氏の私塾・富良野塾にシナリオライター志望として入塾。卒塾後、カナダアルバータ州バンフに滞在し、帰国後、富良野塾の舞台スタッフやフリーのシナリオライターとして活動。1993年より9年間、豊田市民創作劇場の作・演出を担当する。
2003年、2006年には国内最大級の野外劇「とよた市民野外劇」の作・演出を担当。その後、人材育成の必要性を実感し、舞台芸術人材育成事業「とよた演劇アカデミー」(現在はとよた演劇ファクトリー)を発案、実行委員として運営に携わり、2011年から2015年まで短編演劇バトルT-1を主催する。
2012年からはTOCを主宰して市民公募のキャストによる群読劇を豊田市美術館などで上演。2017年からは、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長として様々なアートプログラムの企画・運営に従事し、同年、とよた演劇協会を設立。会長に就任し、2020年、とよた劇場元気プロジェクトを実施する。
その他、演劇ワークショップの講師や人形劇団への脚本提供・演出、ラジオドラマ、自主短編映画製作など活動の幅は多様。これまでの作・演出作品は70本以上。1997年からは公益財団法人あすてのスタッフとして社会貢献事業の推進にも従事。豊田市文化芸術振興委員ほか就任中。平成8年度豊田文化奨励賞受賞。平成12年とよしん育英財団助成。平成27年愛銀文化助成。日本劇作家協会会員。

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