2021年5月6日木曜日

【ダイアローグ】特別編 あいちトリエンナーレがまちに残したもの-長者町・岡崎・豊橋の今と、豊田のこれから-シンポジウム(2020.1掲載)



2019年11月22日、豊田市産業文化センターにて
シンポジウム【あいちトリエンナーレがまちに残したもの-長者町・岡崎・豊橋の今と、豊田のこれから-】がおこなわれました。
あいちトリエンナーレの各会場となった地域の方々をおよびし、トリエンナーレをやったあとその地域でどのような取り組みが行われたのかをざっくばらんに話し合いました。

<武藤勇(以下、M)、鈴木正義(以下、S)、黒野有一郎(以下、K)、モデレーター:山城大督(以下、Y)>
Y) アーティストユニット、ナデガタインスタントパーティ(以下、ナデガタ)の山城大督です。
まず、あいちトリエンナーレ(以下、あいトリ)が始まる前までの豊田の活動を紹介したいと思います。僕自身アーティストとして活動していますが、2013年のあいトリに、ナデガタは長者町エリアで作品を展開していました。中部電力の変電所跡地を会場として、中部地方の映画産業を支えた特撮スタジオ『STUDIO TUBE』というフィクションを立ち上げました。そこにオープンスタジオという形でいろんな人たちが参加するという作品を作ったんです。ナデガタはこうやって、人と関わって作品を作っていくスタイルのプロジェクトを13年間35作ほど発表してきました。
今回のトリエンナーレでは新しく、円頓寺・四間道と豊田市が選ばれました。豊田市の皆さんは、僕の感覚としては喜ばれていたように思います。どんなことが起きるのかなあという、わくわくした感じを今年の春ごろから感じていました。
ナデガタと豊田市との関わりは、2017年度から。とよた市民アートプロジェクトというものを立ち上げて市民のアート活動を盛り上げることが出来ないか、というお話を天野さんはじめ文化振興課から依頼されました。その時、天野さんと話したのは、豊田はクオリティの高い美術館があるけれど、意外にも市民と現代アートが関わるプロジェクトがあまりない、という事だった。そこでアートプロジェクトの場所を探すために、半年くらいかけて街を巡ったが、豊田は空き家がたくさんあるわけでもなく、大きなスペースを見つけるのが非常に難しかった。そこで出会ったのが旧豊田東高校という元女子高だった。
このとよた市民アートプロジェクトでは、ナデガタとしては自分たちの作品を作るという意識は全く持っていなくて、協働の仕方を提示し何かを作ろうという呼びかけを行いながら、街と人とアートをつなげる方法を探してきました。トリエンナーレでは僕らが作った拠点のひとつ「とよた大衆芸術センター[TPAC]」があいちトリエンナーレ豊田会場のビジターセンターとなり、カフェ運営や、展示・トークイベントなどにも活用されてすごく活躍したと思います。

M) N-mark自体は今年で20年で、自分たちが見たいアートを見るための活動としてやっています。僕自身もアート作品を作る側で、自分が作品制作をしていくためにはどういう環境が必要なのかなという所が最初のきっかけです。自分が面白いアーティストたちと一緒に発表したり、考える場所を作っていくという趣旨です。
長者町は2010年から会場になっていて、当時僕はあいトリのサポーターズクラブのお手伝いをしていました。鑑賞者に毎週火曜日に集まってもらってやりたいことをミーティングし実行する「火曜日活動」をやっている中で、「夜の長者町探検隊」やトリエンナーレの勉強をする「トリ勉」や、「豆腐ブッダづくり」などの活動が生まれました。
長者町の中では、「街なかアート発展計画チーム」を発足して、街の人が自主的にアートイベントを企画するシステムを作りました。その中で見つけたのが、当時空きビルだった現在のトランジットビルになります。
トランジットビルでアート活動が行われはじめて、今年で7年目になりますが、アーティストがここで写真教室や木工教室を開いたり、ある程度この場所に定着して活動を始めるようになりました。僕たちのギャラリーも地下にありますし、アートを見せるとか、作るだけではなくて、アーティストたちの生活の拠点として存在しています。
今回は初めて長者町であいトリが開催されないということで、「都市農業」をアートに取り入れる試みも含め、物を育てるというキーワードで、一般の人たちと一緒に行う「アートファーミング」を開催しました。

S) 岡崎は歴史のある町で観光都市として栄え、三河ではかなり有名な商店街活性化エリアでした。しかし1990年代以降、ショッピングセンターが移転し、中心市街地が空洞化して空き店舗が増え、何とか活性化しないといけないという話が起こりました。
そこで、当時の市長は「文化エリア」に切り替え街の中心部に図書館や文化ホールを構想し、一大文化ゾーンにしようとしていました。その時に私はちょうどあいトリ開催の話を聞き、岡崎に現代アートを取り込むともっと文化エリアになるのではないかと思い、2008年にギャラリーをオープンしました。
2012年に当選した現市長は当時、箱物での活性化ではなく、街歩きを楽しめる都市を構想し、実際、「岡崎アート&ジャズ2012」という地域展開事業も開催されました。この時、1970年代にオープンしたデパート「シビコ」の4~6階が空いていて会場となりました。正直、岡崎では現代アートはなじみが薄かったので、受け入れられるか心配でしたので、長者町でキャラクター「長者町くん」が好評だった斎と公平太さんにお願いして生まれたのが「オカザえもん」です。2013年のあいトリ時には「岡崎アート広報大臣」に任命され、会場のPRをしました。
第1回目はオカザえもん効果で盛り上がり、これが何か次につながるんじゃないかと期待はしていたんですが、終わってみるとなかなか根付かないのが現状でした。
3年後の2016年、岡崎は市政100周年で、再度のあいトリ開催を期待しました。
そこで、市民と一体型となって盛り上げようということで、2015年に岡崎アートコミュニティ推進協議会という市民活動団体を発足し、アートコミュニティセンターというアート情報基地を1年間開設しました。そして2016年、岡崎で第2回目のあいトリが開催されたが、作品が前回より少なかったですし、市民も2回目は少し反応が鈍かったような気がします。
2回目終了後は、仕切り直してここから再出発しようと思い、市の予算で推進協議会が継続的に文化活動を続けてきました。具体的には元喫茶店だったところをトリエンナーレに関わった人たちと一緒に、カフェをメインにしたアートコミュニティセンター「ポケット」をオープンしつつ活動し、また話し合いの結果、会場として使ったシビコの空きスペースを使って毎年現代アート展をやっていこうということになりました。
そこで、市民の方々にキュレーションの勉強をしてもらって、2017年、市民企画展を開催しました。ただ、市民企画の展覧会は専門家のサポートがあっても、なかなか難しかった。ただし市民には好評だったので、2回目もやろうとなりましたが、そのときはシビコがもう使えなくなってしまったので、違う空き店舗を探して開催し、3回目の今年は図書館(リブラ)ほか3会場で開催しました。
現状の問題点としては、なかなか空きビルが無いことですね。まちづくりが盛んになってくると注目され、展覧会場としての場所探しも大変になってきています。

K) 豊橋は2016年にあいトリに参加しました。僕は水上ビルに住んでいるんですが、そこの1階を建築事務所として建築設計の仕事をしています。2004年に東京から帰省して、それがseboneが始まる年でした。
seboneは、芸術祭が徐々に浸透し始めていた頃で、そういうことにアンテナを張っていた若者たちが水上ビルの建物が面白いじゃないかということではじめた組織です。
このビルは、まさに都市の中で人間の背骨のように用水の上に建っている川の上の建築で、seboneのネーミングがすごくいいなと思いました。その若い子たちというのは街なかに住んでいる子たちだけではなく、外からの子たちもいて、seboneの実行委員もその頃からみんなボランティアです。都市計画系の大学院生もいたりします。岡崎、長者町と決定的に違うのは、場所が先にあって、そこをどう使うか探っていったという点ですね。
毎年アート展をやるっていうことはすごいことで、seboneも当初は、「アートでございます、飾らせてください。」みたいに扉をたたいても、簡単に開けてくれるところはなかったそうで相当苦労したと聞きました。あいトリの時にいろんな会場探しをしたとき、比較的スムーズだったのは、過去にそういった苦労があったからだったと思います。
もう一つ、豊橋の土地柄だと思っているんですが、「子ども造形パラダイス」という市民展がありまして、もう60年ぐらい続いている市民展があります。豊橋の全小中学生が作品を作って、10月の豊橋祭りというイベントに合わせて展示をします。それに家族3世代で作品を見に行く、みたいな風景がありまして。作品を作って展示して、アートを見に行く、みたいな文化が豊橋の小中学生の中には根付いています。なので、アートに対する敷居の低さがもともとあるんじゃないかな、と僕は思っています。
もう一つ、あいトリ開催を引き受ける時に、僕らは「駅デザ会議(豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議)」というまちづくり団体をつくっていて、そこが引き受けることになりました。僕らがまちづくりをしているエリアに会場がすべて入っていたので、愛知県もそこにたまたま目をつけていたみたいです。あいトリに向けて、案内所を一つ作ろうということと、オープニングパーティーを企画しました。これらの企画には豊橋市役所はほぼ関与してなくて、僕らが企業協賛を集めてやりました。アーティストと一緒に材料調達をしたり、会場のお掃除をしたり、トークショーを企画したりしましたね。駅デザ会議のHPにはかかわってくれた方のインタビューをアーカイブとして残しています。基本的にはseboneがあって、かなり耕されていた場所なんです。それがやりやすさに繋がったのではないかと思います。
豊橋会場は1回のみでしたが、あいトリの開催については、今後は2回くくりにしたらどうかと思いますね。

<ディスカッション>
Y) 芸術祭というものが日本全国各地で起こり始めて、あいトリ2010は、越後妻有アートトリエンナーレ大地の芸術祭ヨコハマトリエンナーレに次ぐ、都市を舞台に開催される第三世代の芸術祭というイメージでした。
その中で、実際にあいトリを見に行った周りの方々と話していて、一番話題になったのが長者町でした。ここ、ほんとに入っていいの?というような場所に入っていったり、町の人との距離が近く感じ、都市部でもこういった関係性が巻き起こせるんだなと思いました。
まずお聞きしたいんですけれども、あいトリという芸術祭が自分たちの町に来て、それを体験してどうですか?例えば長者町の場合、4回目が開催されなかったということも含めてどうですか?

M) 行政がやる行事は公平性を主軸としているので、長者町ばかりが会場に選ばれるわけではないと思います。ただそれをしていると、根付くところがないんじゃないかという気はしています。
僕としては、あいトリはすごく教育的な効果があったと思います。
作品を作る立場の人間としては、どこにアートが根付いていくんだろうっていうところにはあまり焦点が置かれていないので、住みやすいところに住むし、やりやすいところでやる。最初は春日井市でやって、次に名古屋港でやって、そのあとが長者町なんですよ。行政の動きに合わせて、僕らも活動の形態を変えてきていたりするので、そういったものは歴史とリンクしているところの一つかなと思います。

Y) 長者町にはもともとアート要素はなかったんですよね?
M) まちづくりは前からやっていたし、ギャラリーが一つ二つあったので、ロケーションとしてはいい場所だったと思います。名古屋の美術の構造は、郊外に美大があったりしますよね。もうちょっと都心部に美術があってもいいんじゃないかなと思ってたので、長者町を舞台として、やっていけたらいいんじゃないかと思っています。
S) あいトリが終わった後、何か継続されるかというとなかなか難しいのが現状で、行政が予算をつければ、それを使って活動できますが、自主的に民間でお金を出し合って何かをやるかというと、そこまでは動かない。仕切り直しの意味も含めて、2016年に2回目をやれば変わるんじゃないかと思ってやったんですが、やはり厳しいですね。ただ、その原因は何となくわかっていて、康生地区というのはまちづくりが盛んで、こちらは皆さん力を入れてやっているように思いますが、そこにアートが介入するっていうと…ちょっと分断されているかな、と感じます。

Y) 岡崎では、最近デザイン分野での活動など色々広がってきていますよね?

S) 空き家のリノベーションなどデザインや建築の分野ではいろいろ盛んになっているところもありますね。ただそれはあいトリの影響ではなく、全国的なまちづくりの波及効果だと思っています。

Y) ポケットの運営自体は民間出資なのですか?

S) ポケット自体の運営は民間出資なのですが、岡崎アートコミュニティ推進協議会に市から予算をつけていただいたので、その予算で展覧会は開催しています。市の方からは、内容を市民を第一に考えてほしいということで、キュレーション講座を開催したりして市民に参加してもらうような形にしています。

K) seboneの組織とは、当然運営などのやり方も全然違うので、2016年のあいトリを経験して、色々影響を受けました。あいトリの場所のセレクトって、やっぱり既にまとまりのあるコミュニティがある場所に落としていっているような気がします。そうじゃないと、もっと大変だと思う。

Y) 街は生活の場であり、商業の場であり、そして時にはseboneのように転嫁していく場面をもつ街もあり、岡崎はそういう街の変化みたいなものはなかったんですか?

S) アート活動に関しては、あまり変化は感じていませんね。

Y) 武藤さんはそもそも長者町に住んでいたわけではないですね?

M) 名古屋港で活動した後に、全国を行脚するような活動をしていたんですが、そのあと横浜の方に活動ベースがありました。北仲ホワイトという100人くらいのアーティストとクリエイターが入っているビルがあって、当時そこにいました。そういうアートコンプレックスを名古屋でもやりたいな、と思ってたときにあいトリの話を聞きました。
その時に、親しい人が長者町に一つビルを使って、トリエンナーレの拠点ができるということを言っていたので、終わった後、何かできないかということも考えながら手伝っていったという形です。名古屋港でやっていた時もそういう考えは持っていました。

Y) インディペンデントキュレーターは街を盛り上げてくれる起爆剤のような影響がありますよね。愛知県に住んでいると、その地域の人で「ぼくたちの町にもトリエンナーレ来てほしい!」と話す人に出会うこともあります。色々なところで構想を膨らませている人がたくさんいるような気がします。
豊田という街は、隙がないというかそんなに余剰のスペースがないんです。どちらかというと空き店舗があるというよりも、市民活動センターや参合館や交流館など人が集まるための公共施設が整っているんです。なので、自分で場所をわざわざ作らなくていいような印象があります。でもオルタナティブな場所づくりが逆に難しいなとも思います。今は、西町にある「コンテンツニシマチ」という拠点がある地域が盛り上がりつつあります。建築家の方がリノベーションをして飲食店やイベントスペースとして利用されたりしています。
豊田市でのトリエンナーレが終わって、街も市民も盛り上がって、またラグビーワールドカップも並行開催ということで、KiTARAの周辺も整備されました。二つのイベントが終わって、豊田市が今後を考えるタイミングとしては、すごくいい時期だと思います。豊田市の今後について、お三方からアドバイスをお願いします。
K) 僕も今回のトリエンナーレで初めて電車を使って豊田市に来たんですが、今日で2回目です。豊橋にも共通することなんですが、土地感ができるとその場所に訪れやすくなると思います。僕は岡崎のことがすごく気になっていて…地理学的な話になりますが、岡崎ってかなり坂があって、山の手と下町みたいなエリアがあるんです。豊橋は意外と平坦なんですけどね。岡崎でまちづくりが盛んな理由って、その場所ごとでのエリア意識がすごくあるんじゃないかと思います。いろんな街づくりの人がいて、そのエリアを自分たちのエリアとして盛り上げていこうみたいな意識が強い。そういう点では豊田はどうなんでしょうか?

参加者) 豊田市は広いので、はっきりいうのが難しいんですが、合併して加わった山間地は市街地とはまた違う動きをしています。そういう意味では、どこの街も同じだと思うのですが、中心市街地は中心市街地の問題があるし、山間部は山間部の課題があります。でもそこにそれぞれキーマンのような存在や団体がいます。

K) そうですね、結局は人だと思うのですが、昔ながらの土地柄とか人とか、そういった部分にアートが入っていったときに、それぞれの場所で、それぞれのやり方があるんじゃないかなと思います。

Y) こういう活動だけは残した方がいい、ということはありますか?seboneの場合、なぜ16年も続いているんでしょう?

sebone実行委員 森下)sebone実行委員自体は皆さん仕事をしながらされている方が多いです。1年間お祭りみたいな感じで、終わると次は来年に向けて、というサイクルができています。

Y) 確かにもう、そこまで行くとやめるやめない、という話ではなくなってきますよね。

S) 僕が今考えていることとしては、展覧会をやっていくことに意味があるのか?と。芸術に税金を投入するのであれば、もっとアーカイブに力を入れて、そこに行けば常に美術の情報を得られる場所を作ったりしたらよいと思います。その方が地域に根付くし、地域の文化を掘り起こすのにもいいんじゃないかなと思います。
岡崎ではジャズの分野で、内田修さんのドクタージャズスタジオというものがありまして、内田先生が残した膨大な音楽の音源があるんですが、これが非常にレベルが高いんです。一般公開されていて、調べれば調べるほど過去の音楽史が勉強できます。それを整理するのも大変なんですが、そういうアーカイブの整備に力を入れていったらいいと思います。あとは教育面で子どもたちに対する教育プログラムなど、次世代に残すような事業に特化していったらいいと思います。

Y) seboneでは高校生向けの教育プログラムもされていますよね?

K) 高校生に対しての任意参加のプログラム「ドリームウィーバー」という企画です。僕個人としては「お店をつくろう」というプログラムを担当しています。それももう14回目ですが、街なかの小学校に行って工作の授業で作った作品を集めてきて、駅前にある芸術劇場PLATに展示して、街をつくろうというコンセプトです。

Y) 子供のころから作品を展示するっていう習慣がつながっていますよね。子供の頃って作品を作っても選ばれた人しか発表されなかったり、評価されなかったりするので、どちらかというと、作品を発表することに対して恥ずかしがったりする意識がある子が多いんじゃないかなと思います。
そういう意識をつくる前に働きかけることって、あんまりされていない気がします。幼児から小学生まで、絵の勉強ではなく、鑑賞も議論も対話も感受性をテーマにした現代美術を取り扱う教育はあまり無いのではないでしょうか。

S) イベントをやれば結果がすぐ出るじゃないですか。入場者数が何人とか。すごくわかりやすいんですけれども、教育的なものってすごく長いスパンで考えないといけない。だからなかなか税金が出しづらいのも事実ですよね。
でも僕はトリエンナーレに参加して、一過性で終わってしまって何も残らない、という経験をしたので次世代に残す活動をもっと積極的にやっていかないといけないなと思っています。

Y) 武藤さんは、アートファーミングの中でも教育プログラムをされていましたよね?長者町トリエンナーレをやっていない期間も周辺で何か起きていたり、トランジットビルという拠点もつくられたりと。

M) 個人的には展覧会というものに消費的な感じを抱いていて。アートを消費するばかりで、いいのかなあと。どこでアートが生まれて、どこにそのアートが向かっていくのかということをどういうふうに山城さんは考えているのかなと(笑)

Y) え!?

M) ナデガタは割と展覧会自体がアートを生産する場所であったりすると思うのですが。

Y) そうですね。逆に街づくりのような人たちの時間軸で考えたことがないので、今、とよた市民アートプロジェクトで活動をしていて新鮮な感じがしています。1年目はかなり苦しみました。何回やっても、展覧会が終わらなくて、これいつまで続くの?っていう(笑)。でも今は、一回一回にホームラン打つのではなくて、みんなでそれぞれが問題意識を持っていく方法を考えたいなと思っています。

M) ナデガタのようなコンセプトが、アートを生産している気がするのでそういったことを続けていけばいいんじゃないでしょうか?(笑)

(一同) (笑)

Y) 豊田にはいろいろなプレイヤーがいるので、その人たちとタッグを組んでどんどん前に進んでいきたいと思っています(笑)

<会場との質疑応答>
参加者)あいちトリエンナーレをなぜやっているのか、ということをはっきりさせた方がいいと思うのですが。

M) 個人的に、僕らアーティストの視点では、国際芸術祭というものはある意味“災害”だと思っています。その災害でいろいろ振り回され、そのたびに自分たちが強くなっていくので、そういう試練としてとらえています(笑)

S) 芸術祭というやり方がはたして正しいのかどうかという考えです。もっと違うやり方に変化してもいいんじゃないかという、根本的なとらえ方です。芸術祭を始めた当時は空き店舗対策という意味もあったと思いますが、街を活性化する起爆剤としての役割としてだんだんそれも効かなくなっているような気がします。

K) 僕はあいトリや愛知県に対してはポジティブにとらえています(笑)
愛知県には現代アートで地域づくりをするっていうミッションがあって。「あいち文化100年」という100年計画です。だから、今回色々あったからやめる、とかいうことではなくて、あと30回やって決める、まだはじめの10年が経ったところで、アートがまちに出ていくときに色々なことが起こるのは当たり前くらいのスタンスでいいと思います。「文化で立つ」っていうんだから100年くらいやって、はじめて分かってくることもあるんじゃないかな。

Y) 僕も黒野さんの意見にすごく近いです。ドイツのカッセルで5年おきに開催する芸術祭ドクメンタ第二次世界大戦後に始まったものですけれども、文化的復権の意味も含めて展覧会を開き続けています。
作品を見るとすごく難解なものもあるし、ある味方をすれば怒り出してしまような偏った表現をもった作品もあります。そういう議論も含めて、芸術祭が使われているんです。日本の文化芸術はまだここまで来ていないなと思いました。
今回の夏の一件でも、怒る人は怒ってしまうし、対立してしまって、それをつぶそうとしてしまうということは、まだまだ議論の余地があると思います。議論をするために、芸術は有効な手段だと思っているので、そういう議論や葛藤を起こす場としての芸術を、あいトリのようなまだ10年しかやっていない駆け出しの、でも10年続いた芸術祭がこれからもやっていけたらいいな、とは感じますね。

【パネリスト紹介】
武藤 勇 〔⾧者町〕
1997 年名古屋芸術大学造形実験コース卒業。1998 年よりN-mark 共同ディレクター。2010 年~2012 年アートラボあいち運営・ディレクション、あいちトリエンナーレサポーターズクラブ事務局(2010 年)。2012年より⾧者町トランジットビル企画・運営。2017 年よりとよた市民アートプロジェクト推進協議会副委員⾧。2019 年アート・ファーミング ディレクター。
鈴木 正義 〔岡崎市
1999 年より岡崎市康生町の街づくりにデザイナーとして関わり、2005年より都心再生協議会メンバーとして2008 年オープン予定の図書館(りぶら)を中心とした康生地区を文化地区として再生するワークショップ
に参加。その後「あいちトリエンナーレ」の開催にあわせ、岡崎への誘致を目的として現代美術ギャラリーを開廊。2013 年、2016 年の岡崎会場では岡崎アートコミュニティ推進協議会メンバーとして市民活動をサポート。
黒野 有一郎 〔豊橋市
1967 年 豊橋生まれ(水上ビル育ち)武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業、野沢正光建築工房(東京・世田
谷)などを経て、2004 年豊橋へ帰郷、一級建築士事務所 建築クロノ設立。(公社)日本建築家協会 正会員、(公社)愛知建築士会 会員。現在、大豊商店街(大豊協同組合)代表理事豊橋まちなか会議副会⾧、sebone 実行委員⾧ など。
山城 大督(Nadegata Instant Party)
美術家・映像作家。1983 年大阪府生まれ。名古屋市在住。京都造形芸術大学客員教授。アーティスト・コレクティブ「Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)」メンバー。東京都現代美術館、森美術
館、あいちトリエンナーレ2013 など全国各地で作品を発表。第18 回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品受賞。とよた市民アートプロジェクト「Recasting Club」ディレクター。

0 件のコメント:

コメントを投稿