2021年9月28日火曜日

【コラム】「上等な人生」石黒秀和(2021.9)

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 〈人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である〉と言ったのは確か喜劇王チャップリンだったと思うが、意味は少し違うかもしれないが、時代が経ち当時は大真面目だったことが今では喜劇となっていることがたくさんある気がする。例えば、モーレツ社員。24時間戦えますかと某栄養ドリンク片手に昼夜なく働くサラリーマンの姿はむしろ美徳だった。熱血指導。根性論で竹刀片手にうさぎ跳びを強要し、炎天下でも水も飲ませない部活動の姿はむしろ当たり前だった。いずれも昭和育ちの僕には身に覚えのあることばかりだが、しかし今その話を平成生まれにすると、憐れみを持って苦笑されるだけである。

 コロナ禍の今も、おそらく時代が経つと喜劇にしか思えない言動が日々繰り返されているのだろう。具体的事例はあえて避けるが、今や公共の場でパンツを脱いでも怒られないがマスクを外すと怒られると言っても嘘ではないような気がする。戦時中、竹やりで戦闘機に向かおうとした日本人を馬鹿だなぁと見ていた戦後生まれも、結局今同じような事をしているのかもしれない。

 時代の中で、本当に正しいことを見極めるのは至難の業である。そもそも正しいこととはなんなのか、それすら定かではない昨今である。不惑を過ぎたらブレない生き方をしたいと思っていたが、50歳を過ぎた今もその境地には到底達していない。情けないことではあるが、その情けなさを自覚するところまではなんとか来た気がする。

 富良野塾時代、喜劇を書く際に師匠に言われたことがある、それは、〈人を笑わせようと思って書いてはダメだ。どうしようもないことに直面した時、それでも必死に生きようとする人の姿を書きなさい〉。もはや後の世に褒められる人にはなれそうにない。ならばせめて笑われる人にはなってもいいのではないか。責められる人にはなりたくない。一生懸命やって、それでまぁしょうがない奴だったなぁと苦笑でもしてもらえたらなら、それはまぁ上等な人生ではないか、そんなことを思う今日この頃である。

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石黒秀和(いしぐろひでかず)プロフィール
1989年に倉本聰氏の私塾・富良野塾にシナリオライター志望として入塾。卒塾後、カナダアルバータ州バンフに滞在し、帰国後、富良野塾の舞台スタッフやフリーのシナリオライターとして活動。1993年より9年間、豊田市民創作劇場の作・演出を担当する。
2003年、2006年には国内最大級の野外劇「とよた市民野外劇」の作・演出を担当。その後、人材育成の必要性を実感し、舞台芸術人材育成事業「とよた演劇アカデミー」(現在はとよた演劇ファクトリー)を発案、実行委員として運営に携わり、2011年から2015年まで短編演劇バトルT-1を主催する。
2012年からはTOCを主宰して市民公募のキャストによる群読劇を豊田市美術館などで上演。2017年からは、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長として様々なアートプログラムの企画・運営に従事し、同年、とよた演劇協会を設立。会長に就任し、2020年、とよた劇場元気プロジェクトを実施する。
その他、演劇ワークショップの講師や人形劇団への脚本提供・演出、ラジオドラマ、自主短編映画製作など活動の幅は多様。これまでの作・演出作品は70本以上。1997年からは公益財団法人あすてのスタッフとして社会貢献事業の推進にも従事。豊田市文化芸術振興委員ほか就任中。平成8年度豊田文化奨励賞受賞。平成12年とよしん育英財団助成。平成27年愛銀文化助成。日本劇作家協会会員。






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