2021年9月28日火曜日

【コラム】「“場”を創る」清水雅人(2021.9)

豊田とその周辺地域の、演劇・映像・音楽・アートに関する情報と人材のネットワーク<TAG>Toyota Art Geneサイト → http://toyotaartgene.com/


 コロナ禍によって、慣例や惰性で見えにくかった、物事の本質や人の本当の気持ち・考え方が露わになったことに多く出くわす。
 社会や組織が、このような非常事態でも、“まわる社会や組織”か“まわらない社会や組織”かの差も歴然とした。

 ウィズコロナとかポストコロナと言われ始めているが、当然すべてが元に戻るわけではない。
 例えば、普通の会議や打ち合わせはリモートになることによって、空気を読む必要がなくなり、意見もよく出て、会議が早く終わるようになったと聞く。
 だが、知恵を絞って、みんなで何かを作り上げるような話し合い、いわゆる“熟議”は、対面してやらないといいアイディアが出てこないとも聞く。
 出張や、視察や、なんとなくやっていたイベントや、、、は本当に必要なものだけに淘汰されるだろう。
 大学の講義のリモート化は、定員や立地という概念をなくし、新たなフェーズに入るという話もあるが、小中学校は、やはりリモートではダメで、それは学校が勉強するためだけにあるのではなく、友達を作り、他人と交わり、社会を学ぶところだからだ。
(そういえば、リモート飲み会というのも聞かなくなりました、、、)

 文化芸術は不要不急なのか?という議論を随分聞いた。日本という括りで言えば、ライブやフェスや公演や展示などは、欧米に比べれば、不要不急だと考える人が多いようだということもわかってきた。
 インターネットの発達によって、新しい様々な文化芸術の表現の方法が試されいることも確かだ。
 しかし、歌や踊りや演技や作品を、目の前で、生で観て感じること、みんなと一緒に体験することが、人にとって必要なことで、なくなることはないということもわかったと思う。
 はるか太古の人類の祖が、火を囲んで、木や石を叩いて音を出し、声を上げて歌い、踊り、洞窟の壁に絵を描いたことが文化芸術の興りだったように(※あくまでも清水仮説です)。

 私は、30歳になった時に映画作りを始めて30代を過ごし、42歳の時にサラリーマンを辞めて独立しご当地アイドルを10年かけて大きする40代を過ごした。50代は、地元の映画や音楽や演劇やアートに関する人々が集い、様々な表現を行う“場”を創ることをやっていきたいと思う。

 その足掛かりがまもなく始まる。みなさんと一緒にそんな“場”を創っていきたい。応援、ご支援、どうぞよろしくお願いします。

過去のコラムはこちら → http://toyotaartgene.com/column.html

清水雅人(しみずまさと)プロフィール
2000年頃より自主映画製作を始め、周辺の映画製作団体を統合してM.I.F(ミフ Mikawa Independet Movie Factory)を設立(2016年解散)。監督作「公務員探偵ホーリー2」「箱」などで国内の映画賞を多数受賞。また、全国の自主制作映画を上映する小坂本町一丁目映画祭を開催(2002~2015年に13回)。コミュニティFMにてラジオ番組パーソナリティ、CATVにて番組制作なども行う。
2012年、サラリーマンを退職/独立し豊田星プロを起業。豊田ご当地アイドルStar☆T(すたーと)プロデユースをはじめ、映像制作、イベント企画などを行う。地元の音楽アーティストとの連携を深め、2017年より豊田市駅前GAZAビル南広場にて豊田市民音楽祭との共催による定期ライブを開催。2018年2019年には夏フェス版として☆フェスを同会場にて開催、2,000人を動員。
2016年、豊田では初の市内全域を舞台にした劇場公開作「星めぐりの町」(監督/黒土三男 主演/小林稔侍 2017年全国公開)を支援する団体 映画「星めぐりの町」を実現する会を設立し、制作、フィルムコミッションをサポート。2020年、団体名を「映画街人とよた」に改称し、2021年全国公開映画「僕と彼女とラリーと」支援ほか、豊田市における継続的な映画映像文化振興事業を行う。
2017年より、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員就任し(2020年度終了)、あいちトリエンナーレ関連事業の支援やとよたアートプログラム支援を行う。


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