2021年5月26日水曜日

【ダイアローグ】<TAG>ダイアローグ 第6回「とよたの歴史・遺産とアート・カルチャー」ゲスト:天野博之氏(地域人文化学研究所)文字起こし(2016.12)

豊田で活躍する人材をお招きしてお話を伺う<TAG>ダイアローグ。再開をしたので、<TAG>第1期公開分で文字起こしができていなかった分の文字起こしを少しずつ進めています。
今回は2016年12月公開分の文字起こしです。大変遅くなりましたが、5年経っても興味の尽きないお話をしていただいてますので、改めてでも、初めてでも、動画視聴と合わせて文字起こしお楽しみください。
<TAG>ダイアローグ動画 ゲスト天野博之氏 → https://youtu.be/VnrVz--O-a4
<TAG>チャンネル登録もよろしくお願いします → https://www.youtube.com/channel/UCIjZssyxVzbc1yNkQSSW-Hg

1時間超の動画をご覧になるお時間がない方のために、文字起こしも掲載します。※全編の文字起こしではありません、よろしければどうぞ動画をご覧ください。

とよたの歴史・遺産とアート・カルチャー
出演:ゲスト/天野博之氏(地域人文化学研究所)ホスト/石黒秀和 清水雅人 2016.12収録
ゲスト紹介
清水:みなさんこんにちは!<TAG>通信映像版12月号です。
略 ※ごあいさつ省略します。
 6回目ということで、今回のゲストは、、、地域人文学研究所の所長さん、ということでよろしいですか?

天野:えーと、地域人文化学です

清水:地域人文化学!すみません!

天野:(笑)の代表理事です

清水:一番偉い人ですね?天野博之さんにお越しいただきました

天野:よろしくお願いします

清水:天野さん、何年生まれですか?

天野:昭和44年ですね

清水:もしかして3人同い年ですか?

天野:僕が早生まれで学年は一つ上ですかね

石黒:ああ、でも44年生まれという事では揃った

清水:市役所の期では2つ?3つくらい上ですか?

天野:平成3年に入ってます

清水:じゃあ3つ上ですね。僕は平成6年入庁ですので

石黒:元市の職員(清水)、現市の職員(天野)ですね

天野博之氏経歴①
清水:ここからは天野さんがどういう人かを聞いて行きたいんですが、もともと歴史が専門なんですか?

天野:専門というよりは、好きな分類ではありました。市の職員としては一般行政職です。学芸員の資格は持っていますが、採用としては一般行政職です。

清水:大学時代の専攻は?

天野:考古学です。人文学部の、比較文化論コースの、考古学専攻です。ただ、やっていたことはメソポタミアです。日本のことせずに(笑)、ローテクな灌漑農耕に興味があって。麦の生産量はヨーロッパの3倍以上あったにもかかわらず、なぜメソポタミアが滅んでいったのか…というところに興味があって。専攻とはちょっと関係ないんですが、勝手にやっていて。それで、また関係ない市役所に就職して(笑)

清水:ちょうどバブルの最後ですよね?

天野:そうですね。ギュっとあがって、ガクっと落ちる前で、紛れ込んでしまいました(笑)

石黒:行政職で入ったけど、今は大学でやっていたことをまたやっている感じですか?

天野:いや。全然違いますね

清水:仕事に(考古学が)考古学が関わってきたのでは、、、

天野:文化財課に入って、いきなり現場に行かされたんですよ。おまえ掘ってたろ?って

石黒:最初にお会いした頃は、そのイメージでしたね

清水:お二人が最初に会ってるのは?

石黒:天野さんが暮らし発見館(豊田市近代の産業とくらし発見館)を立ち上げるちょっと前くらい?何が最初だったかは記憶にないんですけど

天野:何でしたかね…。えーっと、繭だ!

石黒:じゃあ繊維チームだ、生涯学習課でやっていた授業(物づくりなぞなぞプロジェクト)で、僕は繊維のチームリーダーをやっていたので、それで天野さんにいろいろ教わったんですね

清水:暮らし発見館を立ち上げたのはいつですか?

天野:平成17(2005)年ですね。最初は、昔、発掘のアルバイトをしていたことを上司が知っていて。アイツ掘れるだろ?と。それで希望はしてないんですけど文化財課に異動になった。ちょうど現場を立ち上げるのに人手不足で白羽の矢が立ったと。でも先ほど言った通り大学ではメソポタミアをやっていたので、日本のそういった基礎知識は無かったんですが、現場をやりながら勉強して。それで最初にやった現場で、東日本で一番古い鍛冶屋さんの遺構を掘り当てちゃった。

石黒:それはどこですか?

天野:南山畑です。今、広川町にあるんですけど。今は住宅街になっているんですが、一角に碑が残っています。半島状に突き出た台地の、集落を溝で囲んだ場所があって、高地性集落というんですが。弥生時代、卑弥呼の時代の一時期だけあった集落なんです。そこから鉄鏃(鉄の矢じり)が三点出ているんです。弥生時代の鉄が出るというのは、愛知県ではあまりないんです。愛知県全体でも二十数点しか出ていないうちの三点がそこから出ているんです」

清水 石黒:へえ~

天野:カチカチに焼けた火の跡があって、なんだろうね?って土を振るっていたら、本当に細かい鉄片とかが出てきて、鍛冶屋さんをやっていたんだろうという推論になって。調べたら、東日本では一番古い遺構だと。

石黒:ものづくりの街豊田市で、鍛冶屋の跡を見つけたと。ストーリーとしては、すごくいいですね。

天野:弥生時代終末期だと、近畿ではたくさんあるんですが、愛知県では少ないんですよ。そんな遺跡を掘っちゃったので、責任もって勉強しなくちゃと思って。そこから歯車が変わったというか(笑)

石黒:今では、プライベートでもいろいろ掘ってるんじゃないですか(笑)

天野:いやいや(笑)掘るものが違いますね。もっと違うものを掘りたいんですけどなかなか(笑)

清水:文化財課は長かったんですか?

天野:結局、13年いましたね。南山畑の遺跡掘って、その後にシンカノヤマっていう遺跡があって。そこも試し掘りっていうのをやったら見つけちゃって

清水:それはどの辺ですか?

天野:猿投の亀首町の辺りで、道路を通すのに掘ってみたら結構なものが出てきたので、2年くらいかけて調査をして。次は史跡整備をやって。最初の鉄鏃の化学分析なんかもやったので、お前、化学もやれるだろ?ってなぜか勘違いされて(笑)
 それで、宇都宮三郎の特別展をやれと言われたのが、平成13(2001)年ですね。それで、近代も勉強しなくちゃと。ちょうどその頃、考古学の面白さを皆さんに伝えるには、身近な歴史のところから紹介していった方がいいんじゃないかと。古いものを残すことの意味というのは、現在や未来に活用していくためという事なんじゃないかと、自分の中で課題意識があって。そこから近代化遺産にシフトしていって。田んぼ案内という本を出したり、それが暮らし発見館に繋がっていくんですけど。

清水:発見館は元は蚕のことをやっていた所ですもんね

天野博之氏経歴② 豊田市近代の産業とくらし発見館、足助重要伝統的建造物群保存地区、五平餅学会
天野:蚕業取り締まり所と言って、蚕の卵を検査するんです。卵から伝染病が広がると蚕が全滅してしまうので、それを防ぐ検査をする場所だったんです。大正10年に建てられた、当時では最新式の鉄筋コンクリートの建物で、上部は日本の和風の屋根、和洋折衷なんですよね。そういう面白い建物が空き家になるっていうのをなんとか活用しろってことで、文化財課に話が回ってきたんですが、最初僕はそこをメイドカフェにしようと

石黒:メイドカフェ?!

清水:流行り始めたころですね?(笑)

天野:そうそう(笑)しかも平仮名で、メイドさんだけじゃなくて、三世代交流ができたらなと思って…あの…あの世に近い人たちも来ていただいて…メイドさんと、めいど(冥途)さん両方いて、スタジアムに行く人達が、ちょっと立ち寄って交流できる場にしませんか?って言ったら、それは難しい、、、って言われて(笑)

清水 石黒:(笑)

天野:じゃあどこにも負けないものを作ろうと思ったときに、ただの資料館というのは嫌だったんですね。名前にもこだわって、近代から豊田を発見するって言うコンセプトにしよう。ただ人が来るのを待ってるんじゃなくて、とにかく仕掛けて行こうっていう能動的な館をコンセプトにしました。なので、資料館じゃなくて発見館なんです

清水:それから足助支所に行かれたんですね。五平餅学会への関わりもその頃ですか?

天野:五平餅学会は足助に行ってからです。文化財課の最後の仕事が、足助の街並みの保存なんです。合併後の足助の街並みをどうするんだという話になった時に、合併協議の書類を見ても文化財として伝統的建造物群保存地区を守るということはどこにも書かれていないんですね。旧足助町時代も、あの場所は都市開発と商売でなんとかやっていこう、開発型の都市整備で景観を守っていこうという引継ぎがされていたんです。

石黒:へえ~

天野:なので、当時の市役所も、都市計画課と都市整備課という部署が街づくりに入っていて、文化財課は誰も動いていなかったんです。でもそこで下水を通したり電線を地中化するために地面を掘ったりすることで古いものが残るだろうかと、足助の街の良さが無くなってしまうんじゃないかと危機感を抱いて、住民の方が参加している都市整備のワークショップを覗いてみたんです。そうしたら、どこそこにレンガ風の建物を作ろうとか、道の真ん中に溝を掘って鯉を放そうとか…

清水:
観光地を作ろうみたいな

天野:はい。でもそうじゃないなと。そんなことをしたらこの街は死ぬんじゃないかと思って。その街の本質を大事にしないとこれからは負けていく、どこにでもあるような街になってしまう。本物を残しながら何か出来るんじゃないかと思いまして。上司を引きずるような形で行って、勝手に地元に提案をしちゃったんです。そこから足助と係るようになりました。それが平成19(2007)年ですね。

清水:なるほど

天野:最初は、都市整備のほうに怒られましたけど(笑)、でもちゃんと理解があって一緒にやらせていただいて。住民の方々とも勉強をしていく中で、古い建物が壊されるっていう話を聞いて、そこに乗り込んで行ったりして。所有者さんと3回以上話し合って、ある時その方に、先祖から受け継いだものを引き継げる立場にあるのに、それをしないんですか?って言ったんです。こんなキツイ言い方ではないですけど

清水:柔らかくね(笑)

天野:ええ(笑)、確かにその建物は柱が曲がってたりしてるんですけど、新築にしてしまったらこの雰囲気を出すのに160年かかりますよと、その時代は買えませんよ、というようないろんなお話をさせていただいた時に、相手の目の色がチラっと変わる瞬間を見たんですよ。それでヨシ!と思って。
 熱が伝わると言うか。自分は行政の人間でもあるので、やらされ感じゃいけないと思って、住民の方が動きやすいように、皆さんと一緒にやっていくという感じで、やっちゃいました

清水:区域指定というのは、その頃にあったんですか?

天野:区域指定は、平成23(2011)年度に重要伝統的建造物群保存地区になったんですが、その前に話し合いをしていて、先行して都市整備課や都市計画課があの区域を囲っていたので、それを踏襲した形ですね

清水:本当に壊しちゃうとそれまでなんでね

石黒:その時の熱意が、今の足助に繋がっていると考えたら、大功労者じゃないですか

天野:いやいや。重伝建なんて大変な事を持って行っちゃったもんですから、今でも義理と人情ですわ。そのあと足助支所に行って、開発と保全の調整もさせていただいたんですけど、足助支所にいる頃はいいよと。でも異動になってバイバイじゃ義理が立たないだろうと。一緒にやっていただいた方の言葉で、今でも忘れない言葉が「お前にだったらキレイに騙されてやるよ」と。それだったら腹をくくってやらないとイカンと。それが今の寿ゞ家の活動に繋がってます。

清水:それで足助支所に行かれて、今の地域文化学科研究所の立ち上げに繋がったんですか?

天野:そうですね。重伝建だけじゃなく、どこかの文化財を残してくださいとお願いしていたり、五平餅学会というのを立ち上げたり。

清水:五平餅を名物にしていこうとする上で、裏付けとして五平餅学というブランディングをされてたイメージがあります

天野:そうですね。

石黒:豊田市を五平餅発祥の地と

天野:私が学説を立ててますから(笑)

石黒:長野のほうの人たちは…

天野:大丈夫です!(笑)

清水:飯田街道を伝わっていったということで…

天野:五平餅文化圏をどう捉えるか。そしたら豊田市が発祥の地でしょ!という学説なので。

清水:そういった活動が広がってきて、、、

天野博之氏経歴③ 地域人文化学研究所、寿ゞ家、とよた世間遺産
天野:それで、ボチボチ大変になってきたな、ひとりで抱えてるわけにはいかんと。
 寿ゞ家も言ってしまえば、あばら家だった所をなんとか支えて行かなくちゃいけない。負の遺産です。

清水:元々は料亭でしたね。本当に華やかりしき頃に芸者さんも出入りしていた所ですよね。

天野:そこが空き家になって十数年で、廃屋で。地域人文化学研究所のホームページにも当時の写真があるんですが、もう中はジャングルみたいでしたからね。そこから再整備するっていうとてつもないことを背負ったので、ちょっと一人じゃ抱えきれんなと。いろんな活動をするには団体がいるだろうということで、平成25(2013)年に足助支所から猿投支所に異動になって、足助地区とは利害関係のない部外者になったタイミングで自分の団体を立ち上げるという形になりました。

石黒:じゃあ、猿投に移ってから地域人文化学研究所を立ち上げたんですね。

清水:当時の<TAG>の交流会で、天野さんが名刺を一生懸命皆さん居配ってたのを覚えてます。

天野:営業しなくちゃいけないんで(笑)

石黒:天野さんの中に、足助支所を離れたら立ち上げようという思いがあったんですか?

天野:タイミングですね。寿ゞ家をやるのに、足助支所のままじゃいかんと思っていたんですが、自分個人でというよりは、皆さんと共有したいと思ったので、じゃあ、何か立ち上げたいと。そういうタイミングでした。

清水:そこから4年経って、寿ゞ家も綺麗になって、再生した

天野:ジャングルを切り開きながら、使える所を作っていって、初年度で足助の街並みのデザインを考えるという講座を開いたり、中学生の総合学習の体験とか。あと、当時愛知大学と繋がりがあったので、学生を呼んでこき使ったりしたら、二度と来なくなりましたけど(笑)

清水:そこまでやるのかって(笑)

天野:観光学を学びに来た学生を、物片づけに使っちゃって(笑)

清水:あとは、最近で言うと足助ゴエンナーレも、、、

天野:今年3回目だったので。だから割と騙し騙し使いながらやってます。

石黒:3回とも寿ゞ家でやってるという事ですか?

天野:そうです

清水:いわゆる、アートプロジェクトというか、ワークショップとか。それ以外にも手広くやってますよね

天野:地域人文化学というのは、全部意味があって【地域】【地域の人】その人が作っている生活という意味の【人文】そこから生まれる【文化】それらをまとめて、面白い化学反応を起こす研究所という意味で【地域人文化学研究所】

石黒:それぞれ単体では無くて全部繋がってるわけですね

天野:人文化学というのは、通常サイエンスのほう【人文科学】なんですが、僕は化学のほうで。僕ピンバッチ付けてるんですが、宇都宮三郎っていう豊田にもゆかりのある化学者なんです、最初に【化学】という字をケミストリーに当てたというか、略語にした人ですし。

清水:そうなんですか

天野:日本で初めて国産のセメントを作った人。(近代的な)建物を作るには必ずセメントを使うので、建築の父でもあるし。いろんな初めて物語をやってる人なんです。その人の墓が畝部西町にある。その検証活動もずっとやってます。遺品の整理をさせて頂いたり、お墓参りには必ず行っていたりといった活動をしていたり。
 五平餅学会も入ってきたし、稲武のほうの富永という集落の街づくりのお手伝いもさせていただいて、寿ゞ家もあって、他にもいろいろあって、例えばデカスプロジェクトでゴエンナーレやったのもそのひとつ。
 つい先日やったのが、タートルアイランドの永山君と地元の人と一緒に、寿ゞ家で奄美の竪琴の演奏会とアルコドの演奏会、いろんな踊りもやったりして、皆さんに楽しんでいただくっていうイベント。

清水:西町と足助と長野の飯田をツアーみたいな感じでやってましたね

天野:はい

清水:そして今日は額を持ってきていただいてますよね。

石黒:これがホットな話題でね(笑)

天野:はい(笑)豊田世間遺産!豊田市の面白い価値観を持つ【ひと】【もの】【こと】を私どもが勝手に認定させていただく。
 これも自分でデザインしたんですけど、こういったものを贈らせていただいて。これを今年から始めました。

清水:世界遺産ならぬ、世間遺産

天野:世間が認める

石黒:モノだけじゃなくてね

清水:イメージとして、ハイカルチャー(伝統)とかそういうものでは無くて、身近なものでも遺産になるものがあるんじゃないかなというとこですね。

天野:要は、文化財じゃないよと。世界遺産ではないよ。でも世間にはいっぱいいいものあるよねと。生活の中から出てきたものとか。あとはアートとか、宗教上の主張をしてるとか、そういうものじゃないんだけど、なんかいいもの、いい味出してるおっさんでもいいんですけど。身近にあるものってちゃんといいねって、地域性のあるもの面白いものに価値があったらいいねって認めていけるきっかけになるといいかなと。

清水:これは募集もかけて

天野:そうです、公募で。今年は39件応募があって、そのうちの30件を世間遺産に認定しました

清水:それでこの額をお贈りしたと

天野:今ちょうど配っているところです

清水:これは今後継続して増やしていこうと

天野:そうですね。今年は例題も兼ねて数多くやったんですが、年間10件くらいは継続してやっていって、とりあえずは100件目指そうかと

清水:これはサイトを見ればわかるんですか?

天野:地域人文化学研究所のホームページに豊田世間遺産というページがあって、そこに一覧表が出ています

石黒:研究所の事業としてやっているという事ですか

天野:
そうです。理事会を通して一応(笑)、認定作業をしたんですよ

清水:例えば、五平餅とか他には何がありますか?

天野:例題として出したのが、寿ゞ家の軒先にぶら下がっている鈴。なんの変哲もない鈴なんですが、寿ゞ家っていう所は江戸時代から続く旅籠だったんです、元々は鈴屋という名前だった。看板が残っているんで分かったんですが、多分その関係の鈴なんですよ。それがまだぶら下がっている。

清水:屋号代わりというか

天野:ええ

石黒:じゃあ恐らく江戸時代からあるだろうと

天野:ん~(笑)それは分からないですけど(笑)でも物語になる。その鈴を見れば語れる。これは面白いじゃないかということで例題としてまず認定してます。
 あと足助で言うと、寿ゞ家の近くにある、からくり小屋を作っているウラノさんというお父さんがいらっしゃるんですが、裏通りを歩く子供たちを楽しませたい、人を楽しませたいという事で、自作のからくり小屋をいくつか作っていまして。そのお父さんは【ひと】として認定しました。そういう活動をしている人は素晴らしい!地域を盛り上げながら楽しんでやってらっしゃるので、それはいいなと。
 あとは公募できたものだと永覚町のほうにイシカワさんという方がいらっしゃって、自分で車を買ってきては、レストアしてコレクションしているんですよ。その方は、古き良きものをコレクションする【ひと】として認定しました。コレクションには、モーターサイクル、昔のドイツナチスの軍事用の単車とか、アメ車の古いのとかがズラっとあって、自分で直しながら動かせるようにしていて。面白く生きている、自分で価値観を見出して、自分で価値を作ってらっしゃるということで、そのコレクションも認定させていただきました。

清水:地域の伝統に基づくみたいな縛りも特に無いんですね

天野:なしです。文化って自分たちで価値を作り出していかなくちゃいけないと思うんですよ。僕自身としては、伝統的っていうのは革新の連続。連続性があるから伝統として続く。残っていくから伝統なんだろうと思っているので、別に伝統文化には拘らないです。これから新しく作る【もの】でもいいし、それをやる【ひと】でもいいし。僕が面白いと思えば。

一同:(笑)

天野:そこが基準ですよ

石黒:これは毎年やる訳ですか?

天野:毎年やります。6月くらいに募集を立ち上げて、秋口くらいに締め切り。そこから私も調査をして認定させていただくという流れなので、年末のタイミングで認定書を発行しようかと思ってます。

清水:ここまで、天野さんの紹介でもう30分喋っちゃいましたけど

天野:あ!もう30分ですか!(笑)

歴史・遺産とアート・カルチャー アートは街を面白くする手段
清水:ここから本日のテーマ”とよたの歴史・遺産とアート・カルチャー”ということで。
 僕たちの世代って、いわゆる日本的なものっていうのにあまりかかわらずに来ちゃった最後の世代じゃないですか。半分戦後に侵されてるというか、アメリカに侵されて(笑)、思春期を過ごしてきたというか。
 でも、ここ10年、15年くらいでアートプロジェクトに日本的なものを取り入れようっていう動きが出てきてる、今年のデカスプロジェクトを改めて見ると半分くらいは日本的、伝統的なものをアートで表そうっていうものなんですよね。そういった動きはどこから出てきたのかなと思っていて、、、あまりにも漠然としてますけど(笑)

石黒:天野さんは、そもそもアートイベントをやろうっていう意識はないですよね?

天野:そうですね、ないですね。アートを僕は道具だと思ってるんですよ。表現ではあるんですけど、一つの手段だと思っていて。
 何故かというと、僕の目的は地域振興、地域を面白くしたい。その道具としてアートを取り入れるという形を取っていて、アートイベント主体ではなく、このモノをどの様に表現しますかっていうときに、アートっていうと表現としてはすごく引き出しが多いので、そういったものを使わせてくださいと頼んでやってもらうというのはあります。
 だから、イベントとしてというか事業として、何を本質とするか。僕はアートというものを通してこの中身を引き出すっていう糸口をつける。もしくは、自分でやるんだったら別の切り口でこういう風にするっていう、いろんな手段の一つです。
 ただ、ゴエンナーレとかやっていて、アートっていうとどこからでも結びつきが入って来れるというのが多いので便利なんです。主催側と参加する側っていうところでは、意識の差はあると思うんです。やっぱり表現者であるし、皆さんは。

清水:実は価値があるんだよというのは切り口の一つですよね。本当にただの廃屋だけれども、価値があるんですよっていう、価値の転換をするっていうのは、天野さんは説得されたわけじゃないですか。それをひとつアートとして見せることによって、今まではそんなものとは思わなかったものがこう見えるとか。そういう意味では確かに手段なのかな。

天野:重伝建の話を進めたときにも、皆さんやっぱり、こんな家屋って言われるんですよ。でもそこにアーティスト達に作品を展示してもらう、現代芸術ですよ。アートを置いてもらうっていう事でマッチするんですよね、古い家屋と。
 地域の人にはそれを見せて、訪れる人に対しては新しい切り口の街並みっていうのを見てもらって褒めてもらう。そうやって新しい価値観っていうのを古い街並みに付けていくっていう作業もちょっとしたことがあります。僕の立場にとっては純然たる手段であったんです。でもアートというのは可能性はいっぱいあるので、その部分では非常に面白かったですね。それが今のゴエンナーレにも繋がっています。

石黒:今日天野さんをお招きしたのは、まさにそこをお聞きしたかったんです。アーティストっていうのは、街づくりとか地域振興っていうのは基本的に考えてないですよね。逆にそういうことを考えると面白いものはできないかなという気もするんですけど。実演者は自分の作品をつくることに専念、集中してもらえばいいと思うんですけど。
 その価値みたいなものを地域とか街づくりに、まさに道具、ツールと仰いましたけれども、使っていく人がいるというところで初めてアートのチカラっていうのが更に大きくなっていく。
 今、天野さんだけじゃなくて、亀田さんもそういうところがあるんだろうけども、そういう人がこの街にたくさん出てくると、結果的にはすごく面白い街になっていくし、アートというもののチカラがもっともっと、ある意味では世間、社会にとってとても必要なものという再認識にも繋がっていくんじゃないかなと思ってるんですけどね。

清水:どうしても新しいものを作ってとか、さっき言ってた足助でどうしようかって言うと、レンガで作ってっていうね(笑)、でも今ある視点を変えるとか、使い方を考えると、そこにひとつ楽しさというか価値が出るんだよっていう作業だと思うんです。広告業界でもストーリー作りだよって言うじゃないですか、そこにあるものには重厚なストーリーがあるわけで。それを発見するっていうだけでも全然違うんですよ。それに気づいてきたっていうとこもあるのかなと。

石黒:演劇でいえば、空間ていうのはとっても大事なんですけど。空間に積み重なった歴史だとか、その地域ならではの物語が背景に見えると、作り手としてはすごくイマジネーションが湧くというか、底が深くなっていくので、そういった空間っていうのは作り手も求めてるんですよね。だからそこで初めてその地域に住んでる人たちには思いもよらなかったような価値をアーティストが見つけてくれたり、そういった相乗効果みたいなものが、今の農村舞台アートプロジェクトもそうですけども、デカスプロジェクトの企画の中にもたくさん見られるなという気はします。天野さんの活動はまさにそうだと思いますけどね。

天野:何を大事にするかっていうところで、アーティストは自分の表現が第一じゃないですか。そこと、例えば寿ゞ家とかの僕が思っている本質、地域の中で何を大事にするかっていう本質が大事だと思っているので、そことのマッチングをどうさせるか。改善するためのキュレーターとか、化学反応を起こすような媒介者がいるんだろうなと思うんですね。それが上手くいけばイベントとして成功するし、上手くいかなかったら、ちょっとチグハグになってしまう。道具というのは失礼な言い方かもしれませんけど、表現の部分と、それを受け入れる受け皿というか醸成させるようなものとの間を取り持つっていうのはこれから重要だろうと思っています。

清水:今の話でふと思いだしたんですけど、僕が映画を作り始めて15年くらい経つんですけど、一番最初に映画を作った時は、ただ面白そうだからって動機しかなかった。本当にくだらない映画作って観てもらったら、自分の知っている街が映画になっただけで嬉しかったという感想があって。何気ないその辺のいつも歩いている道が、映画という中でスクリーンに映るだけで何か良いものに見えちゃうみたいな、価値が付加された瞬間があったと思うんですよね。だから地元を舞台に映画を作ることが面白いっていうコンセプトができたと思うんです。価値転換というか、今までそうじゃないと思っていたものをそう見せていくとか。いかにコーディネートするか、プロデュースするかみたいな。

天野:自分が慣れ親しんだ街っていうコンセプトというか、受け手のほうもそうでしょうけど、そこが大事なんでしょうね。何か大事なものがそこにあるから。そこを映画の中で引き出しているから受け手のほうも喜んだというのは多分あるんじゃないかなと思います。

自分たちの街を「面白がる」
清水:いわゆる地域活性とか地域振興って言葉が1990年くらいから出てきて、試行錯誤があったと思うんですけども、流れとしてはいい流れというか、元々あった日本という部分の良さというものを、古き良き日本という事ではなくて、大衆的な部分を上手く取り込んで表現していくというのは面白いなと思うんですよ。

石黒:ささやかな日常というか。例えば東京は面白いけれども、田舎の地方都市は面白くないという固定観念というか、我々世代は特にあるじゃないですか。だけどこの地方都市の、豊田の田舎の何も面白くないと思っていた場所が、実はとても面白いところなんだっていうことを、住んでいる人達がまず気付くことが大事だなと。

清水:実は住んでいる人達が一番気付きにくい部分でもあったりすると思うので

石黒:でもその事に気付いて、それを更に面白くしていこうとしたときに、地域への愛着も深まっててき、地域もどんどん面白くなっていくと。そういうことがこれから大事だと思うし、究極的には、自分の住んでいる街を楽しくしていく。

清水:生活との係わりみたいなところ

石黒:それは自分自身のためでもあるんだけれども

清水:前回ゲストの西村さんも「本当の豊かさって何だろう?っていう所から始まっているんですよ」って話をされたんですが、確かに日常の中でちょっとそういうものに触れるとか、その中の豊かさみたいなのが、新しいものに触れているだけじゃない、ディズニーランドに行くだけじゃない(笑)、ディズニーランド全然行ってもいいと思うんですけど(笑)、こっち側にも、身近にも豊かなものがあるんじゃないかっていうのは、とっても分かるというか、面白いなと思うんです。

天野:今は周りが騒がしい、いろんなものが飛び交っているんで、じゃあ、それに対しての自分って何だろうなって、ふと思うときがあると思うんですけど、やっぱり根っこが生えている人ってすごい良いなって思うんですよ。僕自身は、こう見えてもあまり根っこが無いような人間なので(笑)、一所に留まっていることができない人間なんですけど、でも足助の衆を見ていると自分たちに誇りを持っているし、例えば寿ゞ家とか自分の街で、何かしでかすっていう事をすごく楽しんでいるんですよね。
 僕はその場を提供できるっていう事は幸せなんです。自分たちを面白がる、自分の所を面白がるって非常に大事だな、そういう大人たちを見ていると、子供たちも俺達って面白いところに住んでるんだなと思うんですよね。
 先ほど、片田舎がつまらないっていうような事を仰いましたけど、東京は情報発信がすごく盛んで、面白いっていう情報は溢れてる。片やこっちはどうだって言うと、俺のところはやっぱり普通だっていうか、当たり前なんですよね、あるものが。それに気づかないというか。
 これ面白いじゃん!っていうのが世間遺産であったりっていうことのきっかけもひとつなんですが、面白さを自分たちで出して行こうよというのは大事だろう、それこそ情報発信とか、お二人がやってらっしゃる映画とか演劇とか、そういった表現の方法で出していくっていうのは大事だろうなと思います。

情報発信と「遊びごころ」
清水:ちょうどいい流れなんで。情報をどう集約して発信するかというのは<TAG>の元々のコンセプトですけれども。その辺の情報をいかに発信していくかという意識はどうですか?Facebookをやられたりだとか。

天野:ようやくFacebookを立ち上げてやるようになったんですけど、その前はブログだったんですよ。でもブログだと、一生懸命書くんですけど瞬時的じゃないもんですから、どんどんFacebookをやろうと思っていますし、その情報をためる場所としてのホームページがあって。とにかくweb上で発信しようと。
 で、会う人合う人、実際に顔を見せるのは究極の営業ですから、そこで宣伝したり、あらゆる機会を通して何とかやっていこうとしてるんですよ。ただ、今限界があるのが、動けるのが自分1人だし、webもそこに到達しなければ発信できないし、受け取ってもらえない。そこを打破できないかなとは思っています。
 僕は繋がりの中で、ゴエンナーレを全部自分でやっているわけでは無くて、キュレーションを実行委員長のオオノさんという方にお任せしちゃってるんです。そうすると、オオノさんがゴエンナーレや寿ゞ家をあちこちで発信してくれる。そういった繋がりの中で、例えば永山くんとかが現場で会って〝なんかやろうか?〟〝やろう!〟っていう風にまた発信してくれる。そういった本当に人的なネットワークでやっていければいいかなと今思っています。

石黒:そこだけアナログなんですよね、きっとね。アナログで人との繋がりを作ってその人達にまた発信してもらうと。

清水:そこが地方都市の豊田、40万人くらいだと顔が見えるという部分が確かにあるのかなと思いますね。あともうひとつの側面で言うと、ビジュアル的なカッコよさというのを天野さんにとても感じて、ゴエンナーレのチラシってカッコいいじゃないですか!単純にそこって大きいと思うんですよね。あとこの世間遺産の認定証。このパロディ感の面白さとかね。

天野:実はあるテレビ番組のマークのパロディで作っちゃいました(笑)TBS系のね(笑)

清水:そうですよね(笑)そういう遊んでるなっていう感じがいい。ゴエンナーレのチラシやポスターもとてもビジュアル的に訴える。そういうものとの融合も発信力がある。

石黒:いやもうね、僕のイメージで天野さんに共通してるのは、遊びごころですよ。天野さんに怒られるかもしれないけど、五平餅学会だってね、大人の遊びをとことん突き詰めてね。この世間遺産もそうですけど、また新しい遊びが出てくるとそちらも開拓していくとか。楽しい遊びをたくさん作ってるなというイメージなんですけどね。

清水:それが伝わっているという感じがするので、それを更に集約していくと面白いのかなと思いますね。

天野:この世間遺産やるのに5年くらい考えてましたよ。世間遺産という言葉を始めて知ったのが5年くらい前なんですよ。

清水:この言葉はあったんですか?

天野:はい、最初は鹿児島のほうで世間遺産ツアーというのをやっているという情報を知って。何をやっているのかと思ったら、野っ原にもう使わなくなってなんかよく分からないトイレがあると。それが世間遺産になっていて。昔のアカセガワさんとかの路上観察ナントカってあるじゃないですか。あれの延長上なんですよ。なるほどそういう事もあるよな。価値付けすればそうだよね。
 それで調べて行ったら、もともと世間遺産という写真集があって、そこから出ているんですよ。世間遺産という言葉を作ったのは常滑の人なんですけど、言葉としてはそういったバックボーンがあったので、その定義をちゃんと自分で解釈をして、世間遺産って本当にいっぱいあるので、それに失礼にならないようなものをと。
 勝手にやっていると、他のものは世間遺産じゃないのかと言われちゃうと、それはもう違う話なんですよ。だからその辺は、僕はきちんと、豊田というのを付けて。我々は豊田の地域性を表す面白いと思ったものを遺産として認めます、という定義をちゃんと作ってから、でもどうしようどうしようとずっと思っていて、まあでも悩んでいてもしょうがない!やっちゃえ!となったのが今年だったんです(笑)

清水:これがFacebookにドン!って見えるだけでも、単純に面白いと思いますよね。

石黒:聞いただけで面白そうだなと、単純に思いましたもんね。

天野:ありがとうございます。そうやって引っ掛かってくれる人がありがたい(笑)

清水:
僕たち同世代ですが、サブカルを通った最初の世代だと思うんです、ノストラダムスの大予言を信じた世代(笑)。僕たちが子供の頃は、少し後ろめたさもありつつ浴びていたアニメとかのジャパニーズサブカルチャーが、今やメインストリームに来ているでしょ?外国にとってのCOOL JAPANの代表はアニメやアイドルやそういう部分と、日本的な部分というのの繋がりみたいなものも感覚として面白いのかなと思いますね。
 必要だとは思うんですけど、地域の伝統的なものを、学問的なほうにだけ持って行っちゃうとつまらなくなっちゃうという感じもして。遊びごころという意味で言うと、サブカルチャー的な、カウンターカルチャー的なものとの結びつきや雰囲気というのは持っていたいという感じはしますね。

天野:そうかもしれませんね。さっき石黒さんに遊びごころを持っていると言われて、自分では気付いてなかったんですけど、ああそうかもしれないなと。正直言って真面目に取り組んでるつもりなので(笑)

石黒:ああそうですか(笑)

天野:でも、それを遊んでるっていうふうに思っていただけるのは、僕はありがたいなと思います。そうか遊びごころっていうのも良いなって。

石黒:僕らが子供の頃って、外で遊んでたじゃないですか。まず、大体ひとり誰かが来るんですよね。そうするとそこに誰かが寄ってくると知らないうちに皆で鬼ごっこやったり、新しい遊びを作り出したりして。まだそういう感覚だと思うんですよね。だから最初に遊びたいという人間がいれば人って集まってくるんだろうな。

天野:確かに!

石黒:天野さんのやっている事っていうのはまさにそうで。僕がたまに寿ゞ家にフラっといくと、天野さん掘ってるじゃない(笑)、僕はよう手伝わないんだけど(笑)、ああ面白そうに遊んでるなぁって思って。それで次にそこに行くと誰かが手伝ってたりね。

天野:そうですね。確かに面白がってくれる人はいっぱいいるので。類は友を呼ぶっていい言葉だなっていて。変態が集まって来るんですよ(笑)

石黒:確かにね(笑)天野さん手伝ってるよっていう人は、みんなちょっと変わった人が多いよね(笑)

清水:まあでもね。今の文化は変態が作るものですから(笑)。変態、オタクが作ってると言われてますからね(笑)、でも楽しそうだなっていうのは、発信力になるとは思うんでね。

石黒:そんなこと言うと、豊田市役所で2人は変態たちですよ(笑)。そういうキーマンがいっぱいいる。

天野:豊田市役所って、自分で言うのも変ですけど、僕のようなヤツを飼ってもらってるんですよ。寛容な職場ですよ。

石黒:思う!そう思う!

天野:だから、豊田って面白いんですよ、僕がいることでそれが証明できてるかなと思います。

石黒:ホント、そう思いますよ。

清水:そんなこと言いながら、1時間も喋ってしまいました。

天野 石黒:もう1時間?!(笑)

未来に向けて
清水:では、最後に今後、来年に向けてとか、5年10年でもいいんですけど。天野さんとしてこんな事やってみたいなと思っているとか。未来に向けての話で締めれたらと思うんですけど。

天野:いろんな事を仕掛けては、楽しんでいますけど、僕ら地域人文化学研究所としては、触媒になる、化学反応を起こすきっかけになるっていうのがコンセプトにあるので。豊田をもっと面白くしていく。
 その面白くしていくっていう事が、また新たな事を生むっていう、そういった仕掛けづくりをやっていくと、その先にはオリジナルの〝とよた〟が見えてくるんじゃないかと。それを誰もが共有できるといいな。そういった世界観を作っていければいいなと思っています。

清水:まちづくりへの意識というのは、結構大きいんですか?

天野:まちづくりって言うと、なにか商業振興とか、来訪者を増やすとか、そういうイメージになっちゃうんですが、もっと自分たちに寄せて考えてみると、自分たちの街をどのように楽しむか、どう価値付けできるかっていう事が、地元の人間にとってのまちづくりだろうと思いますので。そこのお手伝いができればなと思っています。役所的にはどうしても都市整備とかそういう話になってしまうんですけど。

清水:行政的にはそういう事が必要だとは思いますけど、

天野:それは行政に任せればいい(笑)。でも地元側の人間としては、自分のまちをどう楽しむか。

清水:でもそれがたぶん魅力になって、自然と来る人も増えるだろうと。

天野:そうですね。やっぱり自分が楽しんで、いい!って言わなければ、人が楽しんでくれるわけがないと僕は思っているので。そこの楽しみ方っていうのは皆さんでやっていこうよ、それができればいいな。
 形は自分でもまだ分からないです、でも素材を見つけて、それを磨き上げてそこにある本質を見つけることが、僕は自分でも出来ると思いますから。それを上手く人に伝えたいし、そこから物語を引き出していきたい、そこを発展させて糸巻にしていきたいなっていうのは、夢として思っています。

石黒:両立だと思うんですよね。駅前の再開発もそうなんですけど、更地にして新しいものを作り上げいていくというのも大事なんだけれども、この地域に元々あるものの価値をどう発掘して活用していくかということも同時に必要であって、このふたつが両方ともが同時進行でいかないと、本当の意味でのまちづくりや地域づくりって成立しないんだろうなと思いますね。

清水:着実に人口は減っていくっていう話ですけど、でも自分たちの身の回りだとか、日本という国、もっと言うと、この豊田っていう生活圏の中で、そこの文化、生活の面白さを見つけていくというのは真っ当な感じがしますよね。

石黒:お金も減っていく、人もいなくなる、だけど後ろ向きに考えるんじゃなくて。地域とか自分の住んでいる狭い世界かもしれないけれど、そこをどう楽しくしていくかっていう事は考えざるを得ないから。

清水:そう。だからイオンに行ってもいい、でも次の日には寿ゞ家にって楽しむとか(笑)、それがまあ豊かさというか。そういうのが整いつつあるのかなと思います。そこを上手く結び付けていくのが天野さんだと思いますし。

天野:豊田っていうのは、その辺の可能性がいっぱいあって

清水:そうですよね

石黒:特に合併してから可能性が広がったと思うんですよね

天野:そうそう。多様な価値観はあるし、その質を高めていくっていう事が豊かさというか、楽しみにつながっていくのかなって。

清水:いわゆる旧合併町村地域っていうのは、開発されなかったがゆえに古いものが残っている。裏を返せば転換ですもんね。そこを発見できつつあるのかなっていう気はします。演劇や映像なんかでもそういう所を上手く取り入れていきたいと。

天野:
空間として使っていただければ、繋がってまた面白いことを起こしていけたら。また寿ゞ家も使っていただいて(笑)

石黒:もうそれは着々と狙っておりますので(笑)

天野:はい(笑)また面白い空間作りましょう。

石黒:
こちらこそお願いします。

清水:まだまだ話し足りなかったので、またお呼びして話が伺えればと思っておりますので。今日の所は一旦おしまいという事で。天野さんありがとうございました:

一同:ありがとうございました。

ゲストプロフィール
天野博之(あまのひろゆき)
 地域人文化学研究所 代表理事。豊田市出身・在住。
 豊田市の職員として、また個人として、埋蔵文化財の発掘調査及び史跡整備、近代の科学技術者・宇都宮三郎翁調査研究及び検証活動、豊田市内における近代化遺産(産業遺産)調査、豊田市の近代の産業とくらし発見館の設立・企画運営、足助の町並みを活かしたまちづくり活動・重伝建制度導入提案、足助地区における観光まちづくり活動、とよた五平餅学会旗揚げなどを経て、2013年地域人文化学研究所を設立。
 さらに活動の幅を広げ、寿ゞ家再生プロジェクト、とよた世間遺産、まちづくり支援など様々な活動を行っている。
地域人文化学研究所サイト https://www.catalyst-r.com/

ホストプロフィール
石黒秀和(いしぐろひでかず)
 1989年に倉本聰氏の私塾・富良野塾にシナリオライター志望として入塾。卒塾後、カナダアルバータ州バンフに滞在し、帰国後、富良野塾の舞台スタッフやフリーのシナリオライターとして活動。1993年より9年間、豊田市民創作劇場の作・演出を担当する。
 2003年、2006年には国内最大級の野外劇「とよた市民野外劇」の作・演出を担当。その後、人材育成の必要性を実感し、舞台芸術人材育成事業「とよた演劇アカデミー」(現在はとよた演劇ファクトリー)を発案、実行委員として運営に携わり、2011年から2015年まで短編演劇バトルT-1を主催する。
 2012年からはTOCを主宰して市民公募のキャストによる群読劇を豊田市美術館などで上演。2017年からは、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長として様々なアートプログラムの企画・運営に従事し、同年、とよた演劇協会を設立。会長に就任し、2020年、とよた劇場元気プロジェクトを実施する。
 その他、演劇ワークショップの講師や人形劇団への脚本提供・演出、ラジオドラマ、自主短編映画製作など活動の幅は多様。これまでの作・演出作品は70本以上。1997年からは公益財団法人あすてのスタッフとして社会貢献事業の推進にも従事。豊田市文化芸術振興委員ほか就任中。平成8年度豊田文化奨励賞受賞。平成12年とよしん育英財団助成。平成27年愛銀文化助成。日本劇作家協会会員。

清水雅人(しみずまさと)
 2000年頃より自主映画製作を始め、周辺の映画製作団体を統合してM.I.F(ミフ Mikawa Independet Movie Factory)を設立(2016年解散)。監督作「公務員探偵ホーリー2」「箱」などで国内の映画賞を多数受賞。また、全国の自主制作映画を上映する小坂本町一丁目映画祭を開催(2002~2015年に13回)。コミュニティFMにてラジオ番組パーソナリティ、CATVにて番組制作なども行う。
 2012年、サラリーマンを退職/独立し豊田星プロを起業。豊田ご当地アイドルStar☆T(すたーと)プロデユースをはじめ、映像制作、イベント企画などを行う。地元の音楽アーティストとの連携を深め、2017年より豊田市駅前GAZAビル南広場にて豊田市民音楽祭との共催による定期ライブToyota Citizen Music Park~豊田市民音楽広場~を開催。2018年2019年には夏フェス版として☆フェスを同会場にて開催、2,000人を動員。
 2016年、豊田では初の市内全域を舞台にした劇場公開作「星めぐりの町」(監督/黒土三男 主演/小林稔侍 2017年全国公開)を支援する団体 映画「星めぐりの町」を実現する会を設立し、制作・フィルムコミッションをサポート。2020年、団体名を「映画街人とよた」に改称し、2021年全国公開映画「僕と彼女とラリーと」支援ほか、豊田市における継続的な映画映像文化振興事業を行う。
 2017年より、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員就任し(2020年度終了)、あいちトリエンナーレ関連事業の支援やとよたアートプログラム支援を行う。



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